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教育の未来を考える

提供:一般社団法人教育の未来プロジェクト

検定:日本の学校これでいいのか検定

 

 「日本の学校これでいいのか検定」の主催団体である一般社団法人教育の未来プロジェクトが配信しているメルマガから、記事を選び、紹介します。

日本人には「下から上への改革」はできない!(2021/11/22)

学校が「変わらなければならない!」という声は、いろいろな所から聞こえてきます。

そういう私とて、「学校変えてこ教員養成」セミナーなるものに手を染めているわけですが、そういった「変革運動」みたいなものに対するちょっとした限界みたいなものも感じています。

それでも「学校、変えてみせるぞ!」といった、空元気だけに頼って、自身の使命感とやらに酔っている…、それが今の自分なんだな…、そのように自己分析してしまう自分を、「なんだかなぁ~」と冷めた目で見ている「自分」の存在にも気づくのです。

「社会を変える」って…、実は日本人にとっては、とんでもなくハードルの高い難問だったんだってこと…、改めて歴史を振り返ってみると、それがよくわかりました。

日本人にとっては、社会は「誰かが変えてくれるもの」、そして誰かが変えてくた社会に上手に順応することができる、そんな特殊能力を備えている民族…、それが日本人の原型なんじゃないかと思うのです。

そのように冷静に日本人の特性を見た場合、数年前から問題になっていた「学校という職場のブラック問題」を日本中の先生方が、例えばツイッタなどで告発しその改善を「誰かに求め続けてきた」という、その精神構造を正しく理解することができます。

教員にとっては、「何かを変える!」といった経験値が少ない、いや、近年の日本人の大半にとっては、「変え!」こと自体を敢えて忌諱してきた傾向がありますよね。

「何かを変える!」ということは、とりあえず「その何かにNO!を突きつける」行為を伴わなければならず、「それはゴメンだな…」といった風潮が少なからず世の中を支配していたのですから、自ら進んで火中の栗を拾うような「ヒーロー」が出現するはずもありませんでした。

世間は、ヒーローの出現を期待しつつも、自らはそのヒーローが浴びせ続けられるであろう猛烈な逆風からは違うスタンスを保つことに腐心しました。

そんな「ズルい!」人々が、日本の社会のスタンダードとなってしまった…、それが平成の30年間であったと私は自覚しています。

「それはお前の思い過ごしだ!」と怒られるでしょうが、あながち「日本人ズルかったでしょう!」現象が、間違ってい

ないということに、実は多くの日本人は気づいているのですね。

「学校を変える!」ですか?

変えていきましょう! しかし、誰かに変えて貰うのを待つのではなく、自らのできる範囲で、私たちの主体性で変えていけばいいのです。

職場の半径5メートルをどのように変えていけるのか? なのではなでしょうか。

子どもに見せるべき景色とは?(2021/11/11)

世間では、やたらと景気の良し悪しの話で盛り上がっているようですが、景気を上げるには「物価が上昇」することが第一で、それに伴って賃金が上昇するのが景気浮揚策の肝であるかのような言質が流布していますが、この日本という国においては、物価は少しずつ上昇するけれども、賃金の上昇はそれには及ばず、結局は、人々の生活はカツカツのままで、平成の失われた30年間は、これからもさらに続いていくんだろうな…、などとする悲観論も多く聞こえてきます。

しかし、そんなに悲観していても面白くないので、少しだけ楽観的なことを考えてみました。

子どもって、案外と「不便」が好きなんです。

…なんてことを言うとなんだか今までの文明を批判してしまうようですが、実のところでは「便利」という概念は、それ以前に「不便」を経験してきた人々、つまりは現代における大人が痛切に忌諱するものだと思います。

つまり、現代においては、子どもたちは生まれながらに生活に必要な物的条件を揃えている状態で人生がスタートしているわけですがら、今さら、何か新しく「便利」ななものを欲しがるといった動機が弱いのですだから「衣・食・住」のうち、衣は「適度に安くて丈夫で感じのいいモノ」が市場にゴロゴロしていますから、そこで他者との違いを見せつける必要性は乏しく、そういった思考にそれこぞSDGS的精神は合致しているわけですから、コモディティ商品さえ手に入れ続けていれば、こらからの社会では何ら困ることはありません。

住に関しては、新規に頑張って住宅を買う…、といった概念はほとんどなくなってくるでしょう。

なぜならば、これからの働き方の主流は、戦略的かつ意図的な転職を繰り返しながら、より社会の変化とそこからの要請に応えられるような身のこなし…、つまりはしなやかさが求められるからです。

よって、間違っても、自身をその土地に縛り付ける「住宅ローン」を組むなどというリスクは冒さないわけです。

加えて、リモートワークですから、郊外のあまり高くない、それでもそこそこの住宅を賃貸で借り続ける方に需要が移っていくはずで、実際に場所によっては、郊外の自然の近くに建つ、築40年越えのUR賃貸物件が、驚くほどの倍率で求められていると聞きます。

そして問題なのは、食ですね。

これにどれだけの出費をするのか? によって、人生観や家族観が変わってくるとは思いますが、例えオーガニック食品を極めた生活にこだわったとしても、そいうった自然食品が今ほど高値を続けているとは思えません。

なぜならば、都心以外の地域(特に郊外)では、産地直送の食材が案外と簡単に手に入るような流通システムが構築され、もはや地産地消が、ほぼ根付いているからです。

つまり、食を通じての健康志向者にとっても「郊外」は、実に暮らしやすい場所となってきました。

この「郊外」に「空き家」問題が横たわっていますから、まさに一石二鳥なわけです。

さらにそもそも、「家ならうちに住めばいいじゃん」といった親からの提案をあっさり受け入れて、同居を始める夫婦も増えているそうです。

その形態は、昭和な人が考えているような「ガッツリ同居」ではなく、「ナンチャッテ同居」、つまり、あまり気をつかわない同居…、これが主流だそうです。

そう考えてみると、今までの世代に脅迫観念のように染みこんでいた「中流家庭」の生活様式も、案外と安価に続けることができそうなわけで、家族4人で、ざっと300万円の年収があれば、それほど怖くはない…、しかもそういった状況を想定した「ベーシックインカム構想」が着々と進んでいますから、まずは実験段階(すでに一律10円給付で実験検証はできているんですけど…)として、月に3万円/一人くらいのレベルから始まるのではないかと考えられています。

その実現には、もちろん綿密な制度設計と移行期間として十分な時間が必要でしょうから、せいぜい今の子どもたちが家庭をもつ頃の話にはなりそうです。

しかし、国としては「ゴメン!社会保障制度が破綻しちゃいました!」と素直に謝るくらいなら、というか、絶対に責任を取りたくないから、ベーシックインカムは案外「マスト」な政策であったりするのです。

「公務員の先生」が「金融教育」?(2021/11/04)

公立の学校の先生が「公務員」であることに異論はありませんし、むしろそうであるからこぞ日本の教育には「公正」さが保たれていることには完全に納得している立場ではあります。

しかし、来年度から始まる高校家庭科の授業への「金融教育」導入に関しては、何だか違和感を持たざるを得ないというのが正直な気持ちです。

先生が「公務員」であることの第一義的な目的は、「貧すれば鈍する」というように、教員の生活の安定が「健全なる教育」には欠かせないとする先人からの教えによるものであると理解しています。

その意味で、先生が「公務員」であるということは、自身の安定した生活環境から「教育」のことだけに真摯に向き合うといった姿勢が求められるはずです。

そしてそれで理想であり、それでいいんです。

そんな先生のマインドに今次の「金融教育」を本質的に理解して、その必要性を子どもたちに説く…、などという精神は不釣り合いじゃないか…、そう思います。

「金融教育」を授業で施す家庭科の先生は、きっと慌てて各種「金融商品」の特徴やしくみ・カラクリを学ぶことになるでしょう。

文科省や金融庁は、そんな現場の先生の困惑を察知してか、「金融教育」を専門に教える講師の派遣体制を整えているといいます。

穿った見方をすれば、もともと政府の側は、「学校の先生に金融教育なんかできるわけがない」といった前提をスタート地点として今回の金融教育の解禁を発出したのではないかと勘ぐってしまうのですが、先生方、特に教育公務員(公立学校の先生)の方々は「真面目」ですから、この金融教育にも、多分に肩に力を入れた「真面目な取り組み」をしてしまうはずです。

それは「やめておいた方がいい」と私は思います。

行政当局からは「けしからん!」と怒られてしまうでしょうが、金融教育は社会科の「政治・経済」を十分に習得させてからでないと逆に「危険」であると感じています。

できれば「倫理」という授業を習得した上での「金融教育」であることが望ましい…、それが社会科教員としての(私の)本音です。

 

→私が、なぜ、そのように思うのか…、については、是非ともブログでご確認ください。

「金融教育」の本質を探る。(2021/11/01)

ご自身の親御さんが70歳代の後半で、しかも現役時代が「会社員」や「公務員」であった親御さんの「老後年金」を知った時、「えっ、ウソでしょ!」と思わず声に出してしまうほど驚かれた方々も少なくはないと思います。

「えっ、こんなに少ないの!」ではありません。

「えっ、こんなに貰ってるの!」という驚きです。

実際には、例えば会社員として働いてきた親御さんが、公的年金(基礎年金)の他に厚生年金や厚生年金基金に加入していた場合のケースですと、もちろん現役時代の給料によって保険料が違っていましたから、年金額にも個々人で差がありますが、概して「月に25万円前後」の年金が支給されています。

しかもお母さんが何らかの仕事をしていた場合は、夫婦で優に「35万円」を超える額の年金が支給されているんです。

これを年収に換算すると400万円前後の世帯であると言えます。

そう、現役世代の平均年収と同じ程度の額で老後が送れちゃうんです。

これって「理想」ですよね。

これは「ほんの一握りの高齢者でしかない!」と言う方々もいますが、現実にはそういった人々(高齢者)が半数以上を占めていることは間違いありません。

戦後の国民皆年金制度が完全に整った状態での「老後生活」であり、しかも高度経済成長期をスタート地点とする日本経済が絶好調の時期に組まれた老後生活のモデルを現在の低成長期の日本社会で実現しているのですから、若年層から見れば「羨ましい!」とされる老後生活を送っている…、それが70歳代後半以降の方々(いわゆる団塊の世代)なんです。

いや、ホントは、それよりもやや上の80歳代の方々の「老後年金」の方が額は高いという方もいるでしょうが、確かに額は多く、夫婦年収で450万円を超える場合もあります。

しかし、そういった人々の層は薄く、よって全体としては「団塊の世代の方々」がもっとも平均的に「いい老後」を送っている人が多い…、ということになります。

そして、こういったこと、つまり一部の若年層や貧困層の方々には「知られたくない」事実を、特にメディアが報道しなかったのには理由があります。

日本社会が経済的に分断し始めていることは、どなたも薄々は感じていることでしょうが、その分断が「実は制度自体」に原因があった…、つまり景気の良し悪しによる経済格差よりも「高齢者を優遇する社会制度」そのものが、経済的分断の元凶である…、そういったことが国民に知れ渡ってしまうと、国家としてはマズイことになりますよね。

どちらかと言えば、今までの日本社会で利益集団の側にいて「いい思いをしてきた」ところの人々にとっては、国民からの怨嗟の対象に自分たちがなってしまう恐れがあり、事実、日本の歴史では、現在のような経済的格差が人々を分断にまで至らせる前に必ず「一揆」が発生して、社会の平均化が図られてきた…、このことを利益集団が知らないはずはありません。

国民の怨嗟ほど恐ろしいものはないんです。

どんな有能な為政者も、その怨嗟を鎮めるためにどれだけ苦労したことか?

さて、そろそろ日本でも若年層を中心とした「怨嗟の爆発」が起こりそうなムードを敏感に察知したからでしょうか?

高校の家庭科で「金融教育」が来年度から開始されます。

キミたちも、ボクたちと同じに利益集団の仲間に入るチャンスを与えるからね…、といったノリで始められようとしている「金融教育」ですが、その真の目的はどうもそうではないらしい…、そのように私は分析しました…。

 

→続きが気になる方は、是非ともブログをお読みください。

「Bタイプの時代」~学校との相性によって決まるタイプAとタイプB~(2021/10/27)

あなたの子供は何タイプ?

 

中高生のお子さんをお持ちの方は、ご自身の子供が学校に馴染めない、学校でいい成績が取れない、先生といい関係が築けないなどの悩みを抱えていませんか?

また、進学をどうすればいいのか?子供の成績が伸びないなど様々な悩みがあると思います。

この悩みを解決するためには、まずお子さんのタイプを見分ける必要があります。

さあ、みなさまのお子さんはどのタイプでしょうか?

 

Aタイプ: 学校(先生)との相性がいい生徒

  • 真面目 ・勤勉 ・素直 ・明るい ・努力家 ・健気 ・疑わない
  • 想定内の自己主張 ・精神の安定 ・正義感 ・礼儀正しさ

 

Bタイプ: 学校(先生)との相性が悪い生徒

  • 不真面目(無秩序は嫌う) ・勤勉でない(納得しないと勤勉になれない)
  • 素直とはいえない(先生からは「生意気」とみなされる)
  • 努力家ではない(学校での出来事に「努力」を注力することをためらう
  • 先生の想定外で自己主張をする
  • 独自のルール、独自の正義感がある
  • 仲間を大切にし、仲間から慕われている ⇒ 先生には「面倒くさいヤツ」に見える

 

隠れBタイプ: 学校(先生)に合わせている生徒

本来は、または内心ではBタイプを自覚しているにもかかわらず、

  • 敢えて戦略として
  • 親の意向として

「Aタイフ」を演じている生徒のこと。

 

タイプによって、教育方法、進路、将来など全て変わってきます。

お子さんに合う道をしっかり見極めてあげましょう!!

「良い子」と「できるヤツ」の違い。(2021/10/21)

学校で「良い子」といわれる生徒というのは、今までは世間でも「良い子」なわけで、その「良い子」という評価そのもので、社会から温かく迎え入れてもらえたのですが、どうも最近、「良い子」の評価は限定的なようです。

たぶん、次元の違うところで「良い子」は必要とされているのでしょうが、間違いなく社会は「良い子」だけでは回っていかなくなりました。

そのことに気づき始めた企業や大学は、よって「良い子」という基準ではない、「できるヤツ」という新しい基準をもって子どもたちを選別し始めています。

「良い子」の量産体制は平成の30年間でしっかりと完成しています。

現行の公立学校で、「5」や「4」をとり続けていれば「良い子」と評価され、その後の進路にも、安定した路線が用意されています。

そしてそれはそれで重要なことなんです。

その「良い子」を育て導くことに学校の先生は本領を発揮するのですが、残念ながら「できるヤツ」を発掘して、そういった生徒を伸ばしてくれそうな進路指導をすることに長けているとは思えません。

しかし、世の中のフェーズは確実に次の段階に進んでいて、「良い子」を正しく導きながら、組織や社会、地域の進むべき進路を明確にすることができる人材がこれからは価値がいなく必要であり、そんな人材を例えば山口周氏などは「ニュータイプ」と捉えています。

この「ニュータイプ」を早期に発掘して鍛えるといったプロジェクトが企業内や大学内で密かに進行していることは間違いありません。

「密かに進行している」のは、それだけ「ニュータイプ」人材を見つけ出す手段(方法)が特殊だからです(きっと)。

つまり、そういったプロジェクトには、学校から提示される「内申書」には全く意味がないことが共通理解としてあり、そういった旧いタイプの評価軸では「良い子」は容易に見つかっても「できるヤツ」は見つけられないことを自覚しているんだと思うのです。

私たち教員は、今まで、「良い子」を世間に輩出することにエネルギーを使いすぎて、「できるヤツ」に注力してこなかたことを改めて自覚するべきです。

「良い子」は、その先の進路も指導しやすく、失敗はあまりありません。

しかし「できるヤツ」の進路は、いったいどのようにして考えればいいのでしょうか?

一度、教員自身が「良い子」をやめてみてはどうでしょう?

今までとは違った景色が見えてくるかもしれませんね。

「みんなと同じ」の価値が下がり続けている。(2021/10/01)

コロナによる社会の混乱と、その混乱に伴う「大人の言動」が、これほど「個人の判断力の重要性」を炙り出すとは思ってもいませんでした。

社会的な肩書きには、もはやまったく意味がなく、人々は「正しく判断し、安全に導く人」…、つまりは「真の社会のりーダー」を探し始めたと考えてもいいでしょう。

しかし、実際に私たちの周囲にいるのは、相変わらずの指示待ち人間です。

自分の頭、自分の五感から「情報を入力し、それを正確に出力する」…、つまり行動するといった「本来の人間の当たり前」を見失った人々によって社会は埋め尽くされてしまったようです。

そんな社会の秩序を安定させるためには実に都合の良い国民を、この国は大量に育ててきたからです。

そしてそういった国民の輩出を第一線で担ったのが、そう、「学校」です。

コロナは、そんな「学校信仰」「学校至上主義」を見直す契機となりました。

学校では決して教えることのできないものが、間違いなく存在し、それが何であるか?とする「問い」を子育てをする親は、今、深刻に受け止めて戸惑っています。

しかし、そんな戸惑いの中から、果敢に新しい「教育」と「環境」を求めて、動き始めた人々(家族)がいます。

そんな人々が、きっとこれからの社会のフロントランナーになっていくのであろうと思うのですが、そういったフロントランナーに共通するのは「変化を見つめる感度」と「高い感度によってもたらされた情報の精査」、それに「それらを総合的に判定した上での決断」…、そんな力であると感じています。

その意味で、今の若い夫婦(30代?)の言動には注目する価値があります。

2021/09/23

教員として、今ほど「悩み続ける」ことが多い時期は滅多にありませんね。

コロナですか?

確かにコロナでは、いろいろな事を考えさせられ、悩みましたね。

「教える」ということの、その原点を深く哲学したこの1年半ではありました。

しかし、私たちが「悩み続ける」ことの最重要項目は、今後、劇的に変化す社会に、どのようにしたらより有効な学

校教育が実現するのか? についてではないでしょうか?

資本主義のカタチが間違いなく大きく変わります。

それは日本の歴史で言えば、80年前の敗戦と、それに伴う社会の劇的な変化に匹敵するほどの「変化」であ

ると思っても言い過ぎではないでしょう。

にもかかわらず、私たちが勤める学校の本質は「少しだけ変化の兆し」は見えてはいるものの、根本的にそのカタチを変えていく気は、今のところありません。

だから、一部の心ある現場の教員は、実は焦っています。

そして中には、学校教育の限界を悟って、サッサと教員を辞める人々の動きが加速しています。

現在の学校のあり方に、不安や疑問、そして憤りを少しでも感じながら、日々、教職を続けている先生方は、実は、とても孤独です。

その孤独と責任感の中からメンタルをやられてしまう先生方もたくさんいます。

こういった現状は、異常です。

この異常を、そこから逃げるのではなく、それを感じることのできる先生方が、横の連携を構築しながら、それぞれの抱え問題点やそれへの解決策を共有する必要性があると思うのです。

2021/09/21

2022年度から高校で金融教育が始まることをご存知ですか?

一般的にマネーリテラシーが遅れていると言われていた日本でも、とうとう高校の家庭科の授業に組み込まれるのです。

主な内容は、

  • 生活における経済の計画
  • 消費行動と意志決定

です。

しかし、実際に教員として関わってきていて、どんなに好意的に考えても、高校の「家庭科」授業でお金の流れや仕組みをちゃんと学べるとは思いません。

年間で「経済」を扱うことができる授業時間も、おそらく3~4時間程度です。

つまり今回の金融教育の狙いは「貯蓄と投資の違い」を教えて、「確かにリスクはあるけど投資もいいかもね…」といったものだと思ってください。

そして残念ながら「経済のしくみとお金の流れ」は、高校の選択科目になっている「政治・経済」でなければ学べません。

しかもその「政治・経済」の授業は、大学受験対策授業ではなく、通常の授業でなければなりません。

大学受験問題に「お金の流れや経済のしくみ」は出題されにくいからです。

ということは、今回の金融教育の始まりは、「学校でそれを教えるのには限界があるけど、金融教育はとても大切なことだから、お家で親に教えてもらってね」…、ということなんです。

そして、今後時代の変化は著しく、親世代と子供世代のお金についての価値観が大きく変わります。

お金だけではなく暮らしの中のさまざまな価値観が変化していきます。

そこで、ご家庭に高校生以下のお子さんがいらっしゃる方は、お子さんのためにも、ご自身のためにも、次世代のお金や社会の常識をしっかり理解する必要があります。

2021/09/16

学校の性質とそこに働く先生に共通する特質(属性)がここにきて、ほぼ完成しました。

何を言ってるの?と思われるかもしれませんが、これは現場を見続けてきた私が、確信をもってお伝えすることができる「真実」であり、決して学校と教育界に対する批判ではありません。

つまり、学校と教員の「カタチ」が、ひとつのフォーマットとして完成したのですから、問題はそのフォーマットにお子さんの「個性」が合うか、合わないか?ということになります。

簡単に言ってしまえば、学校と教員のつくり上げる世界(完成した学校社会)に何のストレスも感じることなく、そこで自身の思春期を十分に開花させることができるお子さんであれば問題はありません。

その目安となるのが「通知表」です。

通知表は高校受験時に提出する「内申書」の元になるものですが、その通知表で、「4」または「5」をコンスタントに取り続けていくことができれば問題はありません。

もちろんテストの成績が悪く、提出物や授業中の態度に問題があると、お子さん自身が認めている(確信的に)状態で、通知表が「3」や「2」の場合もあまり問題ではないんです。

通知表での評価が低いということに対する自分なりの理解が備わっていればいいだけのことで、学校や教員との相性とは別の次元の問題だからです。

実際に、評価が低くても教員集団に受け入れられて順調にその子どもに合った高校へ進学していく生徒はたくさんいます。

問題となるのは、テストを頑張って常に上位の成績陣の中に入っている、授業にもとりあえず真面目に参加しているし、提出物もちゃんと出している、にもかかわらず「3」がついてしまう生徒が、実は一定数存在するっていうことです。

その理由がやっとわかってきました。

それが学校と教員がつくり「学校のカタチ」と生徒の個性との関係性で説明することができます。

前者の学校や教員との相性に問題のない生徒を、総じて「Aタイプ」とした場合、後者「Bタイプ」と呼ぶことにしているのですが、ご自分のお子さんが、はたして「Aタイプ」なのか、または「Bタイプ」なのかは、小学生の後期、つまりは思春期の始まる時期にだいたい分かってきます。

ただ、絶対に避けなければいけないのは、実は完全に「Bタイプ」なのに、親や周囲の大人たちから「Aタイプ」に誘導してしまうケースなんです。

オルタナティヴ教育の現在。(2021/9/16)

学校や教育の情報を定期的にチェックしています。

どちらかと言えば、これまでの社会の変革に対して学校や教育界の変革というのは、社会の変化を見届けた、そのかなり後になって「変革の動き」がもたらされてきました。

基本的に教育界は保守的であり、少しだけ過激な変化は、これをまず排除しようとします。

それでも変化が必要であると世間が広く認めた状態を確認して、やっと思い腰を上げる…、それが今までの学校改革・教育改革の常でした。

よって社会一般からすればその変化は「周回遅れ」のように感じるのです。

今次のコロナ禍におけるオンライン授業と、それに必要な学校現場へのICT機器の半強制的な導入の報道を聞いて「えっ、今頃?」と思った方も社会人の中には多くいたと思うのですが、そのくらいビジネス社会の常識と学校や教育界の常識は乖離しているものなのです。

しかし、ここにきて(これはたぶんコロナとは関係ないところで)何だか劇的に学校のカタチと、それに伴う教育への考え方が変わってきました。

今までの世間の気配を気にしながらの暢気な変革ではなく、明らかに確信的な意図をもった一部の人々による強い力を伴った変革のムーブメントを、今、学校と教育界は起こしているんです。

そしてそれがもっとも顕著に現れているのが「オルタナティヴ教育」を導入し、推進しようとする動きです。

私見を述べれば、この動きは明らかに行政機関による動き方ではありません。

もちろん学校と教育のあり方を変えるのですから、そこに行政側の加勢は不可欠なはずです。

しかしそれを牽引している動力は、絶対に行政側の人々(公務員)の動き方ではないんです。

民間が行政を動かし始めたのです。

或いは、教育改革のための第3セクター的な団体が、これを牽引しているのかもしれません。

いずれにしろ「オルタナティヴ教育」の世界は、今、ものすごく面白く多岐にわたっています。

そんな現状を、まずはみなさんも知っておいた方が絶対にいいです。

そして、個人的には、そんなオルタナティヴ教育に共感して、その世界に敢えて進み始める学校の先生もこれからは増えるんじゃないかって、密かに思っているんです。

「オルタナティヴ教育の現在地」~新しい学校と教育のカタチを考える~(2021/09/07)

近年では、既存のもの以外のものをすべて含めて「オルタナティヴ〇〇」などと表現する場合が多いようです。

「オルタナティヴロック」「オルタナティヴ投資」…、など一般的に使われているのと同じような意味合いで呼称され、そして存在する「オルタナティヴ教育(学校)」ですが、そのような教育や学校が最近になってグングンと増え

てきたのは紛れもない事実です。

「普通」であるということの意味が随分と変化してきたと同時に、「普通」でなければならないとする世間からの圧力にも、かなりの変化が現れ始めました。

つまり「オルタナティヴ教育」を受けたい、または受けさせたいとするご家庭は、確信的に「普通ではない」教育の下でお子さんを育てていこうとしているのです。

そういった家庭が少しずつ増えてきたことに、さすがの当局(教育委員会)も重い腰をやっと上げざるをえない…、そういう状況になっています。

「普通の教育」ってなんでしょう?

そして「普通じゃない教育」のどこに魅力を感じて、親は「オルタナティヴ教育」を受けさせているのでしょう。

そこのところを正確に学ばなければいけませんね。

生徒のココロが離れていく!(2021/08/19)

学校の教員から子どもたちのココロがどんどん離れていってしまう…、そんな危機感を強めたのは、やはりコロナの影響だからでしょうか?

実は、そういった危惧を個人的に抱く出来事が5年前にありました。

その経験から、あ~、それでは絶対に子どもや保護者のココロを掴むことはできないであろう教員が、これからも量産されてくるんだろうな…、と思った次第です。

結果、今となっては、そういった先生方が学校の大半を占めるようになってしまいました。

そしてそのような先生方こそ、今、もっとも苦しんでいる方々なんです。

いったい、教員の世界にナニが起こったのでしょうか?

 

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学校は居心地の良い場所なのか?(2021/07/20)

お子さんが毎日通う「学校」が、そのお子さんにとっての「居心地の良い場所」であるか否かは、毎日の生活の中で見せるお子さんの表情でほぼわかります。

その意味で、親の視点から直感的に「なんかヘン!」とお子さんの異常に気づいた時、その理由の大半は「学校」に起因していると考えても間違いはないせしょう。

学校には様々なストレスの種がちりばめられています。

かつての学校では想像もできないほどのストレッサーとなりべき事案が山積しているのです。

例えば人間関係。

対友人の関係性から、対教師との関係性、または対先輩との関係に至るまでお子さんの気が休まることはありません。

それになんと言っても、SNS上での健全な人間関係づくりには相当な気をつかっているというのが、現代の子どもたちのリアルな心象です。

加えて学業成績とその成績を包括的に担保する「内申書」の存在は、お子さんの不要な「気遣い」を助長させているんです。

具体的には、より内申を気にした言動を適宜に取ることによって、高校受験でのアドバンテージを得ようとするお子さんの、または得させようとする学校の力学との間で、お子さんの神経はスリ減った状態になっていることも考えられます。

このような現代の学校と、上手に付き合っていくには、それなりの知識と工夫が必要であり、そのためには、まず保護者レベルで「学校のリアル」を知る必要があります。