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歴史の賢人に学ぶブレインフード

提供:食育総研

検定:ブレインフード検定

 

世界の賢人と呼ばれる人たちは、どのようなものを食べていたのでしょうか?

 

偉業を成し遂げるくらいですから、その人たちの脳は特別重く、脳細胞の数が多かったのでしょうか?

たとえばロシアの文豪ツルゲーネフで脳の重さは2012グラム、ドイツの鉄血宰相ビスマルクで1807グラムです。

日本人の脳の重さは、男性で1,350~1,400グラム、女性で1,200~1,250グラムだそうですので、これに比べると確かにはるかに重いといえます。

ただし、他の例を見てみますと、相対性理論の提唱者で20世紀最高の頭脳と言われ、天才の名をほしいままにし、ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタインは、1,230グラム、 夏目漱石の脳は1,425グラムでした。

著名な作家や詩人では1,200グラム前後と、どの賢人の脳も、意外にも平均値と大差ないどころか、平均以下の重さしかない脳もあります。

つまり、「脳が重い人ほど知能が発達しているのでは?」と思いがちですが、「脳の重さ」と「知能」は必ずしも一致しないのです。

では、「脳の重さ」と「知能」が必ずしも関係がないとしたら、何が「知能」に影響を与えているのでしょうか?

 

体は「食べたもの」でできています。

もちろん体と同じく、脳も「食べたもの」でできています。

ですからやはり、「日頃なにを食べているのか」が「知能」に影響を与えているのではないでしょうか。

「食べたもの」だけが「知能」に影響を与えているわけではないでしょうが、知能に影響を与える要素の1つに「食べたもの」があるのは、おそらく間違いないものと思われます。

You are what you eat. (人は食べたものでできている)という言い方がありますが、Your brain is what you eat. (人の脳は食べたものでできている)とも言えるのでしょう。

そこで本文では…

ほんの一部の賢人を取り上げていますが、歴史上の賢人たちが、どのようなものを食べていたのかを探ってみます。

 

<目次>

  1. アインシュタイン
  2. レオナルド・ダ・ビンチ
  3. ピタゴラス
  4. 清少納言
  5. エジソン
  6. 紫式部
  7. モーツァルト
  8. 徳川家康
  9. (番外編①)ホールフーズ・マーケットの創始者
  10. まとめ

1.アインシュタイン

  • アルバート・アインシュタイン(19世紀後半から20世紀前半に活躍)
  • 食べていたもの:野菜

アルバート・アインシュタイン博士はベジタリアンでした。

こんなことを言っています。

Nothing will benefit human health and increase the chances for survival of life on Earth as much as the evolution to a vegetarian diet.

(菜食主義への進化ほど健康と人類の生き残りに有効な方法はない)

 

野菜にはビタミンやミネラル、食物繊維など体に不可欠な栄養素が豊富ですが、それだけではなく、ファイトケミカルと呼ばれる数多くの成分が抗酸化作用を持ち、さまざまな病気の予防に役立つことがわかってきています。

2.レオナルド・ダ・ビンチ

  • レオナルド・ダ・ビンチ(15世紀に活躍)
  • 食べていたもの:プラントベース

レオナルド・ダ・ビンチが発明した「自動肉あぶり器」は、彼の代表的な発明品だと言われています。

ほかにもたくさんある彼の発明品の中には「挽き肉器」もあると言われています。

このことから、レオナルド・ダ・ビンチはかなり肉が好きだったのではないかと誰もが思うでしょう。

しかし実際はそのようなことはなく、レオナルド・ダ・ビンチは有名なベジタリアンでした。

 

生前、ダ・ビンチが書き残した「買い物メモ」には、

  • ワイン
  • 桑の実
  • キノコ
  • ブラン
  • ハーブ
  • メロン

などが書かれていますので、こうしたものを食べていたのでしょう。

 

レオナルド・ダ・ビンチが書き残した買物メモ

 

その他、ダ・ビンチの書いたメモには

  • パセリ
  • ミント
  • ワイルドタイム(イブキジャコウソウ)
  • 焼いたパン
  • ビネガー
  • 塩・コショウ

で作ったサラダのレシピがあります。

彼はこれをサラダというより何かの薬として食べていたようです。

 

アインシュタインもダ・ビンチも菜食をしていたようですね。

食育総研はベジタリアンになることをとくに推奨するものではありませんが、プラントベース(植物性)の食べものを日々楽しむことには大きな価値があると考えています。

たとえばこんなサイエンス記事もありますよ。

「幸せは野菜・果物が作っている!?」

3.ピタゴラス

  • ピタゴラス(紀元前6世紀に活躍)
  • 食べていたもの:プラントベース

アインシュタインやレオナルド・ダ・ビンチだけでなく、歴史上の賢人には菜食主義者が少なくありません。

 

わたしたちが学校の数学で学んだ「三平方の定理」は、別名「ピタゴラスの定理」とも呼ばれます。

これですね。

 

 

「ピタゴラスの定理」で知られているピタゴラスはギリシア時代の人ですが、肉を食べることを否定した最初の人だとも言われています。

 

ピタゴラスはなぜか、豆をたいへんに嫌いました。

ピタゴラスの弟子たちには、豆を食べない規則が強制されたようです。 

4.清少納言

  • 清少納言(10世紀後半から11世紀前半にかけて活躍)
  • 食べていたもの:クルミ

日本最古の随筆集「枕草子」の作者である清少納言は、平均寿命が30歳程度だった平安時代に、その倍(推定60歳前後)ほど長生きしました。

歌人である、その父から受け継いだ文学の資質を磨くため、一条天皇の時代、私的な女房として中宮/藤原定子に使えました。

 

当時、庶民は「一汁一菜」が日常食でしたが、その時代にあって、2〜3品以上の副食物を常食していたと言われています。

その食生活の内容が気になるところですが、「枕草子」の中にいくつか見つかります。

 

まず注目したいのは、クルミです。

クルミは代表的なブレインフードの1つです。

「枕草子」には、ナズナ、ヨモギ、レンコン、イチゴなどの名前も出てきますし、「若菜摘み」に関する記述も数箇所あります。

それから、小豆です。

「十五日はもちがゆのせてまえる」 とあります。

「もちがゆ」とは小豆を用いてつくる「赤がゆ」のことです。

赤は「幸運を呼び込む縁起のいい色」として好まれ、正月など特別の日以外にも、赤がゆや小豆でご飯を食べる習慣がありました。

5.エジソン

  • トーマス・アルバ・エジソン(19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍)
  • 食べていたもの:イワシ

エジソンの食事は、野菜と果物が中心で、ときどきイワシを食べていたとのことです。

 

エジソンは、「寝過ぎと食べ過ぎは人生の無駄」と考えていたようです。

  • 8時間以上も寝たらベッドに入っていても熟睡していない時間が長く、無駄。睡眠は4時間熟睡すれば十分。
  • おなかいっぱい食べると消化するのに時間と体力を必要とするから無駄。ふつうの人が食べている半分の食事で十分。

と言い、これを実践しました。

 

エジソンがときどき食べていたイワシは、青魚の一種です。

青魚は基本的なブレインフードとされています。

6.紫式部

  • 紫式部(11世紀前後に活躍)
  • 食べていたもの:イワシ

 

イワシは魚偏に弱いと書きますが、別名「ヨワシ」とも呼ばれ、非常に傷みやすい魚です。

江戸時代の書物には「人を強健にして長生きさせる」と紹介されており、大衆魚として庶民に広く愛されてきました。 

そのイワシが大好物だったのが、紫式部です。

 

しかし、平安時代の貴族たちは、名前が「いやし(卑し)」に通じるとのことで、イワシを忌み嫌って口にしなかったと言われています。

鮮度の問題もありましたので、お腹を壊すのを恐れたのかもしれません。

 

そのような時代ですから、紫式部もイワシ好きをおおっぴらにできず、夫である藤原宣孝(のぶたか)が出かけたときにこっそりと食べていたと言われています。 

ある日、帰宅した夫がその匂いに気がつきました。

脂のたっぷりのっているイワシを焼いたのですから、家の中には匂いが充満しています。 

「あのような卑しい魚を食べたのか?」 

と、夫に非難されましたが、まったくひるまず、和歌を謳ったそうです。 

「日の本(もと)に はやらせ給(たま)ふ いわしみず まいらぬ人は あらじとぞ思ふ」 

当時、石清水八幡宮に詣でるのが流行していましたので、

「日本人で八幡さまにおまいりしない人がいないように、イワシを食べない人もいませんよ」

という意味です。

紫式部は、幼少の頃から物覚えがよく、非常に賢かったと言われていますが、その素晴らしい頭脳に磨きをかけたのがイワシだったのかもしれません。 

 

清少納言はクルミを、エジソンと紫式部はイワシを好んでいたようですね。

クルミは基本的なブレインフードの1つです。

イワシは青魚ですが、青魚も基本的なブレインフードの1つ。

 

<基本的なブレインフード>

  • クルミ
  • 青魚
  • チョコレート(カカオ)

(以上を、「3大ブレインフード」といいます)

7.モーツァルト

  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(18世紀に活躍)
  • 食べていたもの:タマゴ

 

モーツァルトは5歳で作曲を始め、「神童」と呼ばれました。

英才教育のため、幼少期から父(バイオリニスト)とともにヨーロッパの各地を旅しています。

35歳という短い生涯でしたが、各地を回りながらその3分の1近くを過ごしましたので、おいしいものを食べる機会も多くあったようです。

子どもの頃からの大好物は、固いパンと牛レバーに、タマネギやベーコンのみじん切りを加えて揚げた「レバー・クネーデル」団子です。

 

また、目玉焼きも好きだったと言われています。

成人後、オペラの興行主が、モーツァルトを食事に招待したことがありましたが、「黄身が6個並んでいる目玉焼きが食べたい」とお願いしています。

そのときのエピソードは、話を好まず、ただ黙々と6個の目玉焼きを食べ続けたというものです。

このときの食卓の様子がすぐに広まり、黄身を4個以上使った目玉焼きを「モーツァルト風」と呼ぶようになったと言われています。

 

「完全食」という概念があります。

「完全食」とは、健康を維持するために必要な栄養をすべて含んだ食品のこと。

モーツァルトが好んだ目玉焼き。

目玉焼き、つまりタマゴは、完全食の1つとされています。

そのほか

  • 玄米
  • 納豆(大豆)
  • ブロッコリ

も、完全食だと言われています。

 

タマゴの卵黄には多くのコリンが含まれていますが、コリンは神経伝達物質であるアセチルコリンをつくる材料になります。

8.徳川家康

  • 徳川家康(16世紀後半から17世紀初頭にかけて活躍)
  • 食生活:素食

 

戦国時代の三大英雄といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ですが、亡くなった年齢は、信長49歳、秀吉62歳、家康75歳です。

この3人のうち、健康に最も気を使った人は、家康です。

家康以降の徳川14代の将軍の平均寿命は49.6歳(当時の日本人の平均寿命は37.8歳)でしたので、いかに家康が長生きであったかをうかがい知ることができます。

 

家康の人生の目標は、3つありました。

「長生きすること」

「天下を取ること」

「子孫をたくさんつくること」

この目標を達成するために、日頃の健康管理に十分注意を払い、粗食とともに早寝早起きを常としていました。

 

では、家康の素食は、どのようなものだったのでしょうか?

家康は大の麦めし好きで、今川家の人質だった時代から、死ぬまでずっと常食しています。

贅沢な食事は好まず、

  • 穀類
  • 大豆

を材料とした、日本人の伝統食の原型ともいえる「麦めし、みそ汁、丸干しイワシ」を好み、それらを常食としていました。

 

これによって、「明晰な頭脳」と「強靭な心身」が養われたのかもしれません。

健康に気を使い、信長や秀吉よりもずっと長く生きたからこそ、天下取りの夢が実現できた家康。

生涯で16人の子宝にも恵まれ、目標はすべて達成しました。

9.(番外編)ホールフーズ・マーケットの創始者

ホールフーズ・マーケットの創始者ジョン・マッキー氏を「歴史上の有名人」として扱うかどうかは意見の分かれるところかもしれません。

第一、 ジョン・マッキー氏は存命中の人物です。

ですが、食育の世界ではあまりにも有名なホールフーズ・マーケットなので、ここに載せることにしました。

 

ホールフーズ・マーケットはアメリカ合衆国を中心に、カナダとイギリスを含めて270店舗以上を展開する、自然食品グルメの世界最大の小売店で、現在はアマゾンの傘下に入っています。

そんなホールフーズ・マーケットの創始者の食生活とは…。

 

ジョン・マッキー氏は、ホールフーズ・マーケットで扱う食品を食べられるように、なんと、いつも「練習」しているそうです。

たとえば、好きでなかったケールを食べられるようになるため、何度も何度も食べるという「練習」をしていました。

健康的な食生活をするには「嫌いなものを好きになる練習」が必要だと考えているとのこと。